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2018年4月25日 (水)

女子旅二日目・・・壱岐島観光編

前日、ホテル&リゾーツに宿泊し、ゆっくり休んで目覚めたら ・・・

ホテルで朝食バイキングを頂きました~

( 画像はすべて、クリックで大きくなります )

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昨日食べ過ぎちゃったので、サラダ多めですぅ~

二日目の行程は唐津東港から、壱岐島の印通寺港まで渡り、

壱岐島内をバスで観光します。

ホテルのバスで唐津東港まで送って頂き、

早速、フェリーに乗って、印通寺港まで1時間45分の船旅です。

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フェリーでは甲板に出て景色を楽しんだり、

座敷でゆっくり寛いだりして過ごせましたよ!

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唐津城が見えています。

唐津城は、豊臣秀吉の家臣、寺沢志摩守広高によって

慶長7年 (1602) から7年の歳月を費やして築城されたそうです。

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壱岐島の印通寺港に着きました~

これから迎えのバスに乗り込んで壱岐島の観光です!

バスには壱岐島のガイドさんも乗り込んで案内して下さるそうです。

まず向かった先は ・・・ 原ノ辻遺跡です。

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原ノ辻遺跡 (はるのつじいせき) は、

弥生時代の環濠集落で、「 魏志 」 倭人伝に記された

「一支国 (いきこく) 」 の王都に特定された遺跡だそうですよ。

三重の濠を巡らせた大規模な環濠集落で、

また、壕の外西北では日本最古の船着き場の跡も発掘されました。

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環濠集落の規模は、東西約350メートル、南北約750メートルだそうです。

日本で弥生時代の遺跡として特別史跡に指定されているのは、

この原ノ辻遺跡と、登呂遺跡 (静岡県)、吉野ヶ里遺跡 (佐賀県)の3箇所だけです。

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↑ 王の館(住まい)だそうです。

吉野ヶ里遺跡に比べらた規模は小さいけど、辺り一面広く

その昔、水稲農耕が行われていた様子が見てとれました。

次に向かったのは、左京鼻!!

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左京鼻の名前の由来は ・・・

昔、永く雨が降らずに村人が困り果て途方に暮れていたのを左京和尚という人物が

雨乞いをこの場所で三日三晩行ったそうです。

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それでも雨は降らず、責任を感じこの崖 ↑ から飛び込もうとしましたが、

その決意と決死の思いで雨が降ったとして言い伝えられています。

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昨年行った奥能登の 「ヤセの断崖」 に似ていますね~

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こんな所から飛び込んだら助かりっこ無いですよね!

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海は透き通るほど綺麗で、お魚もウニも一杯取れそうですぅ~

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出来るものなら、海岸線を歩いてみたい気分でした。

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青く澄みきった海は、地平線のかなたまで続いていました~♪

さて次ぐに向かった先は、はらほげ地蔵です。

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はらほげ地蔵は ・・・

芦辺町の八幡浦の内海湾に面した海の中に

赤い胸掛けをして立っている6体のお地蔵さんです。

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丸い穴が胸掛の中にあいているので 「腹(ほら)ほげ地蔵」 と言われています。

それは供え物が海水で流されないように、この穴に入れたようです。

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この地蔵の由来は定かでないが、

この近くでは海女漁が行われており海難者の霊を弔ったとか。

また疫病がはやり、そのために祭られたとか、

鯨の霊をとむらったとか幾つかの説があるそうです。

なぜ、お地蔵さんは6人いるのでしょうか?

それは、人間が死んだときに、行く死後の世界が6つあるからです。

そして、6人のお地蔵さんは、

苦しんでいる人々を救ってくれる役割をしています。

それを六道 (りくどう) と言うそうです。

次に向かった先は、月読神社です。

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月読神社 (つきよみじんじゃ) は ・・・

月夜見命、月弓命、月読命という三柱を祀る神社で、

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487年 (大和時代) に京都松尾大社の摂社、月読神社に分霊したと伝わり

神道が中央に根づいたきっかけになったとされています。

お堂の中には、月を表す絵が飾ってありました。

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京都、洛西、松尾大社の横に月読神社はあり、

伊勢神宮の内宮に月読宮、また下宮に月夜見神社があります。

壱岐島の月読神社が全国の月読社の元宮とされています。

その後、猿岩・東洋一の砲台跡に!

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猿岩は ・・・ 黒崎半島のさらに先端にあり、

高さ45mの玄武岩で出来た海蝕崖です。

そっぽを向いた猿にそっくりな岩で、気紛れな自然の造形に驚かされましたよ!

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壱岐島誕生の神話による、8本の柱の一つでだそうです。

昔、神様が壱岐の島をお造りになった時、

壱岐の島は 「生き島」 と呼ばれるほど安定の悪い島でした。

そこで、壱岐の島が流されてしまわないように8本の柱を作り、

この柱に壱岐の島をしばりつけたそうです。

実はこの猿岩が背を向けている方角には、

東洋一の砲台跡があります。

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東洋一の砲台であった黒崎砲台跡は、

猿岩の隣の小高い丘にあります。

この砲台は、対馬海峡を航行する艦船を攻撃する目的で設置されたそうです。

砲台は口径41㎝、砲身18㎝の2連砲で戦艦の主砲が取り付けられており、

普段は地下に潜り、海上からは見えない構造でした。

一度だけ試射されましたがその射程距離と破壊力は、

東洋一というだけあって近くの民家の窓ガラス等はすべて割れた程だったといいます。

終戦後、解体されましたが周辺施設は当時のままで、

現在は跡のみが残る戦争遺産となっています。

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そうして何と 猿岩は ・・・

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お猿さんそっくりなだけではなく、

このお猿さんの顔にはちゃんとマツゲまであるではありませんか~

しかもお鼻に、ポカンと開けたお口まで・・・

毛並みはちょっぴりグリーン系ではありますが~(笑)

自然が織りなす造形に驚くばかりです。

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それでは正面から見たら、このお猿さん、どんな顔かなとMちゃんと行ってみました。

仲間のTさんは、私達二人が

あの猿の頭まで登って行きそうな勢いで走って行ったと言ってました~

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見事なまでの玄武岩の柱状節理で~す!

海から立ち上がったその姿は凛々しくもありましたが、

顔は横から見るのと大違いで ・・・

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猿だか何だか分かりましぇ~ん!

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でも猿岩の下から、湾に沿う景色がとっても素晴らしかったです。

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壱岐島を隈なく観光して、またフェリーで唐津東港まで戻り

迎えに来ていた宿のバスで、昨日泊まった宿まで帰りました。

そう今回、宿は二連泊なので荷物の移動もなく楽でした。

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今夜は宿での夕食なので、

ゆっくり温泉に浸かって会席膳を頂きました~

夕食後、宿の近くの虹の松原を散策したりして二日目の夜を過ごしましたよ。

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唐津湾の海岸沿いに幅400~700メートル、

緩やかな弧を描きながら約4.5キロメートルの長さに渡って

広大に生い茂る松原が 「 虹の松原 」 です。

なんとクロマツが約100万本生い茂っているそうです。

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ホテルの夕食会場から眺めた ↑ 虹の松原です。

静岡の“三保の松原”が約34ヘクタール、福井の“気比の松原”約32ヘクタールで

日本三大松原の中でも、

「虹の松原」 は約216ヘクタールと桁違いの広さを誇っています。

因みに東京ドーム約46個分の広さだそうですよ。

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夕陽もとっても綺麗でした~

散歩から帰った後、もう一度温泉に浸かってゆっくり休みました。

明日はいよいよ最終日で~す!

女子旅・・・門司港レトロ&唐津編は、こちら

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コメント

初日に図書館の前に立つカラッチといい、この日のカラッチも、モデルさんみたい。

ハハッハァ~ ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙  左京鼻でのカラッチは、トドに洋服着せたみたいぃ~(汗)

美味しいもの食べ過ぎで、激太りのカラッチでした~~coldsweats02

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